【車内放送】国鉄時代の特急「北海1号」(80系 ブラームスの子守唄 函館-札幌)
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- Опубликовано: 1 ноя 2014
- 86年8月、国鉄時代の80系特急「北海1号」の函館-札幌間の主な車内放送を収録。各駅で放送の前後に「ブラームスの子守唄」のオルゴールが流れていました。夏の北海道らしく車窓観光案内もこまめに実施されていました。
車内放送は「鉄道サウンド広場」(本館)で多数公開中!
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特別急行というアナウンスが素敵です。
子供の頃函館から札幌まで乗って居ましたおじいちゃんが函館駅長でした懐かしいです!
初めてワイド周遊券を手に急行八甲田で一人旅を始めた時、となり席の人と親しくなった。
翌朝8時ごろ青森駅で青函連絡船に乗り換え、船内の食堂で海峡ラーメンをおごって下さった。
やがて僕らは函館で別れ、その人は北斗で、僕は北海で札幌へ向かった。
ほんとうに良い旅ができました。ありがとうございました。
これに乗ったのはいつの頃か。貴重な山回りの特急。子供のころまだ、早朝発だっこの特急を家の前の線路まで見に行ったのか懐かしいです。
観光案内迄ご丁寧にありがたく素晴らしさが伝わりとても癒されます
40年前。学生の頃、札幌の友人を訪ねました。上野から急行で長岡。長岡から気動車急行「しらゆき」で青森。青函連絡船で函館。未明の3月の函館駅には、北斗1号と北海1号が並んでいました。迷った末に北海1号に乗車。明け方の噴火湾を見ていると、車内のどこからか(ラジオでしょうか)「ルビーの指輪」が流れてきました。1980年ですね。初めて聞いた車内オルゴール「ブラームスの子守唄」とともに、忘れられない旅行です。「乗り鉄」になったのも、この旅行がきっかけでした。
この頃はもう、食堂車は抜かれていたんですね。(涙)
北海といえば、旭川行きだった頃、臨時で網走迄延長運転していた時期が有りましたね。
留辺蘂迄乗ったことが有りました。
最盛期、早朝の函館駅は壮観でしたね。
おおぞら、北海、ニセコの3連発は、お昼頃のおおぞら、おおとり、宗谷の3連発と共に、圧巻でした。
本当に良い時代でした。(涙)
宗谷の函館行、昔あったな。懐かしい
昭和61年なら函館~札幌間の2往復時代ですね。
その前の1往復時代に山線沿線に住んでいたので、近くの跨線橋から上りの「北海」(のちの北海4号)を眺めに行ったものです。
「これに乗れば、まだ行ったことのない函館に行けて、青函連絡船に乗って青森から特急に乗れば上野まで行けるんだ・・・」と憧れていました。
懐かしいです。旅をしている気分になりました。ありがとうございます😊
私は1986年6月に北海3号に乗りました🚃
183系の6両(普通車のみ)
長万部~小樽はスピードがイマイチでも力強さが伝わる走りでした☺️
昭和40年代の小さい頃、旭川から函館まで特急北海に乗り青函連絡船で渡って両親の実家の秋田県までよく行きました。リクライニングでない当時の特急北海の普通席は生涯忘れないでしょう。
本州からの連絡船接続でよく乗りました。そうでないとあんな早朝から特急は出ないし懐かしいです。倶知安経由の特急も急行も北海も、あの頃の面影すらほとんど消失してしまいさみしいです。
新幹線開業を機に、JR九州のような魅力的な観光列車をどんどん走らせてほしいですね。SL運行やブルトレなど乗りたい列車が逆に減少しつつあるのが気にかかります。ブルートレインなど徹底的に整備して鉄道遺産として動態保存するなど道内路線全てが「鉄道博物館状態」にしてもらいたいですね。
+城崎かすみ C11 207を秩父鉄道に貸し出しなど腹立たしいですが、現役JR北海道社員から聞くと国鉄時代からそのままだった設備施設や車両が多すぎてそちらの更新で精一杯だそうです。死人が出ていないからまだいいですが前途多難なようです。
私は山線沿線出身なので、懐かしいです。
子供の頃、北海は「一番えらい列車」でしたよ(笑)
特急「北海」は、北海道で最初に乗った列車です。連絡船の夜行便で来た人は「北海」「北斗」に分かれていましたが、迷わず「北海」を選びましたね。山線には、急行「ニセコ」や夜行鈍行など客車列車も運行されていましたね。
小樽出身です。北海は、一番えらい列車、大賛成デス。嬉しくなりました。
キハ80系の普通車の座席は急行並みですね。
70年代は函館4:50発だったかな
その5分前 4:45に海線特急 おおぞらorおおとり⁉️が発車してましたね
小樽や札幌から先は乗車した事は有りませんが
当時の終着駅は札幌ではなく旭川まで走っていましたね夏期限定で網走まで延伸していた記憶が
北海1号がおおぞら3号になるのですね。初めて知りました。
当時、鉄道ジャーナルの読者投稿ページにならば北海とおおぞらを同一列車として運用すべき、札幌で打ちきり他の列車とするのは特急料金を巻き上げる酷いやり方だと言う旨の投稿がありました。実際上として北海の停車駅から通しでおおぞらの停車駅迄利用する人はほぼ皆無、札幌で車内清掃等をして別の列車として運用する方が遥かに現実的でしょうね。
当時何本か撮り鉄・乗り鉄旅行で、道内の特急に乗車しました。大体どの列車もこんな感じの放送で、案内用の原稿があったのでしょうか。観光案内や接続列車も懐かしいですね。このオルゴールはあまり聞いた記憶がなく、もっぱら「アルプスの牧場」でした。別の動画で、やはり「北海1号」が札幌で清掃後「おおぞら3号」になるというのを聞きました。
はい、北海がイチバン偉い汽車でした、間違いない!
北海道ワイド周遊券があった頃だよね
電車の車内が
車って呼んで
不思議ですね(^-^)
この後の(おおぞら)に乗った事あります。
札幌到着後に車内販売の引き継ぎあったのですが
搬入の人が調子に乗ってスタッフさんに
早く動けと指示していました。
小樽837、札幌909って結構はやいな
当時は旭川行でした
86年8月当時は、札幌到着後にそのまま転線せずそのまま清掃後して帯広へ向かっていましたよ。
西村京太郎ミステリー、(TBSの)THEサスペンス、日本一周旅号殺人事件で(1983年)特急北海出ました。十津川警部が若林豪さんで、亀井刑事が坂上二郎さんでした。
なつかしい列車です。
新幹線延伸されたら、山線なくなるのは、残念、長万部〜小樽。
北海道新幹線が延伸開業すると、山線の長万部~小樽間はどうなるのでしょうか。JR北の近年の経営方針を見ると、明るい未来があるようには思えませんが。
倶知安~小樽間は観光需要があるのでJR北海道としては残したいところでしょう。
倶知安~長万部は現在でさえ本数が極端に少ないので廃止の可能性はあるのではないかと。
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廃止の話が 出ています
キハ183ラストランはそろそろだけど北海とおおとりをリバイバルして欲しかった
国鉄時代の北海道の車両区はやはり広大ですね。本数は、「北斗」が圧倒的に多く、北海はそんなに走っていなかったのでは?
昔の北海は?
長万部までノンストップ?
スーパー北斗時代には函館-洞爺ノンストップがあったような?
昔は山線経由の優等列車おおくいた。
今は 普通列車のみ
新幹線 開業で バス転換に
なります
優等列車が 存続していたら
バス転換に なっていないです
東北・上越新幹線上野駅開業後。この列車はこんな運行をしてた。函館→札幌→帯広→札幌→函館、と。廃止になり、これが後に、全車指定席の北斗1号、16号としての運行になる。北斗1号、16号は、函館↔長万部↔東室蘭↔千歳空港(現・南千歳)↔札幌となる。苫小牧通過というのが、面白い。
五稜郭も通過ですものね。
9:05あたり
「この列車が(そのまま)帯広行き『おおぞら3号』と、なります・・・」
え?ええ~~~っ?!そういう運用してたんだ~・・・! と。
若輩ですが勉強になりました。
札幌への人口一極集中とその他の地域の過疎化。税金でどんどん整備される高速道路と空港。その高速道路網を縦横無尽に走る高速バスによる少量多頻度輸送。北海道の都市間輸送において、大量輸送を前提とした巨大装置産業である鉄道の役割はほぼ終わりつつある感じですね。残念ですが。
ブラームスの子守唄はこんなメロディーではありません。